| 田原節子様のご逝去をこころよりお悔やみ申し上げます。そして有難うございました。 『1・2の3で温泉に入る会』 |
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田原 節子 (2004年8月13日没) |
| エッセイスト。1936年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、日本テレビに入社。結婚・出産を経てアナウンサーとして17年、CMプロデューサーとして10年勤務した後退社。89年田原総一朗と結婚。現在、田原事務所代表を務める。乳がんを中心に医療、そして女性問題をテーマに各方面で執筆講演活動を行っている。98年10月に炎症性乳がんを発症、再発転移で抗がん剤治療等に取り組み、満5年生存を超えた。著書に総一朗との共著『私たちの愛』(講談社)、『がんだから上手に生きる』(海竜社)など。 | |
| 『私たちの愛』(講談社) より |
「僕は君が死んだら、すぐに後を追うよ!」 出会い・離婚・再婚の27年。「常在戦場」と言い切り、ガンと闘いながら生きる老年の壮絶なる「愛」! 出会い・離婚・再婚の27年。 節子の乳ガン告知。 総一朗は青酸カリを入手しようとした!! 私たちは子どもたちに迷惑をかけてきたし、「配偶者を裏切ってきた」と責める人もいます。でも、それしか方法がなかったのです。ある意味で勝手な言い方だと自分でも感じますが、私たちは純愛を貫き通し、それは時には死をも覚悟した「殉愛」だったと思っています。写真館でシャッターを切られる瞬間、27年間のそんなさまざまな思いがこみあげてきていて、私も総一朗の横で泣き出しそうな笑顔になっていました。――(節子) じつはぼくの側にも躊躇する理由があった。妻、つまり、娘の母親が亡くなったあと、娘たちを不幸にすることだけは、なんとしても避けなければならなかった。それは彼女も同じだっただろう。ぼくには2人、彼女には1人いて、どの娘も不幸にしてはならなかった。その娘たちに、いずれも恋人ができて結婚も決まった。そこで、あらためて、彼女に「結婚しようか」と言ったら、彼女は「そうしようか」と答えた。――(総一朗) 乳ガンと闘う節子をささえる硬派のジャーナリスト。寄り添う老年の「男と女」には、40年にも及ぶ「公然の仲」から再婚、現在までの愛を貫く長い道のりがあった。2人の「死」をも覚悟した決意、互いの家族への思いやりなど、衝撃の「愛の真実」!! |