| 『これだけは言いたい』 第4回 |
| セカンドオピニオンを聞く権利 |
がん体験者65人の手記から 私が代表をつとめている「1・2の3で温泉に入る会」という(主として乳がんの)患者会がある。2001年の秋に設立された。 その会で、会員の体験記を出した。 初版3000部は昨年暮れに出たが、またたく間に売り切れた。まだあと2000人くらいの人が欲しがっていら っしゃるので、思い切って内容を刷新し、改訂版を作った。2003年の5月2日、ようやくその本ができた。 ☆☆☆ タイトルは前と同じ 『病気がくれた贈り物一がん体験者65人の手記』である。手記の中身が、約3分の1入れかわった。 今回はなりゆき上、私が不慣れな編集をやった。私は書くほうは専門だが、編集はやったことがない。 すべての原稿について、不慣れなリライトをやり、見出しをつける作業をしていると、ひとさまの原稿をじつに丁寧に読むことになる。そこで気がついたことがたくさんある。 単なる読者なら、読み過ごしてしまうようなことだ。 大阪のSさんが書いている。再発を告知されたときの描写だ。 信頼していたドクターですが、この時ばかりは、前の轍を踏まないように、セカンドオピニオン、いや、三人のご意見を求めたい。密かにそう考えていました。その私の気持ちを見抜いたのか、外科部長が私の耳元で囁きました。 「どこへ行っても同じですよ」 私の計画は脆くも崩れてしまったのです。 (同書、14ページ) もう1人は、埼玉県のKさん。 初めて、がんを告知されたときの描写だ。 まずは、家から一番近い外科医院でみてもらった。「乳がんだったら、設備のそろった病院に移ればいいかな」という考えだった。(中略) (やがて彼女は)不安になって、もっと設備のそろった病院に移り、安心した体制の中で手術を受けたいと強く思い、転院を考えた。(中略) (そこで周囲の親しい人の意見をきくと)細胞をとると進みが速くなるので、転院せずに、早く手術を受けたほうがよいのではないかという結論だった。 (同書、29ページ) 岐阜県のある会員にも、病院選択の余地はなかったようだ。 「乳がんです。部屋、空いているかな一」 (と医者がいったので) 思わず「他の病院に行きます」といったものの、検査結果を説明されて諦めました。 (同書、43ページ) セカンドオピニオン、サードオピニオンを聞く患者の権利って、まだまだ日本では守られていない。 そのことを、編集しながら、あらためて私は知ったのであった。 |