『これだけは言いたい』  第7回
”がん難民”をつくらないために

 
私が代表をつとめている「1・2の3で温泉に入る会」の会員が、ある日何の予告もなしに、私を訪ねてきた。群馬県赤城の森の中にある、俵萌子美術館での出来事だ。
 「まあ、こんな遠いところまで、よく来たわね。どうやって道順を調べたの?」
たまたまその日、美術館にいた私は、Aさんを見て驚いた。
 「東京から車でいらしたの」
 「いえ。電車で……。俵さんのホームページを見て、道順を調べました。両毛線の前橋駅からは、タクシーで……」
 「まあ、タクシーで!」
タクシーだと、私の美術館は、前橋駅から4000円もかかる。マイカーなら簡単だけれど、タクシーは大変だ。
美術館のロビーで向き合って座ったとき、Aさんは、まっ直ぐに私を見詰め、口を開いた。
 「私、転移したんです。骨と肺に……」
言ってから、Aさんの目がみるみるうるんだ。
2人の間に、しばらく沈黙が流れた。
 「前回の抗がん剤があまりにも苦しかったものですから、抗がん剤は、もうイヤなんです。この間の検査で、ハーセプチンの受容体はありませんでした」
私はずっと黙っていた。
私が彼女に言ってあげられる言葉なんてない。彼女だけが静かに話し続ける。
 「当分、このままで居ようと思うんです。積極的な治療はしたくないんです」
朝早く家を出て、新幹線に乗り、両毛線を乗り継ぎ、前橋駅からタクシーに乗って、標高500mのこの森の中に、彼女が来た気持ちを私は考えていた。
 (だれかに、だれかに、聞いてほしい。ただ黙って受けとめてほしい)
いまの日本の医療機関には、こういうことをしてもらえる場所がない。
私の、もう1人の友人は、肺がんと言われ、切ってみた。
 (何もできることはなかった)と言って、すぐ閉じられた。そのあとにも、何もできることはないと言われた。強いてできることは、ホスピスを紹介することだけだという。
こういう人を"がん難民"と言うのだろうか。
私の考えでは、こういう人に対してもできることがあると思う。
それをもっと探すべきではないだろうか。
私は、初めてAさんに口を開いた。
 「ねえ。Bさんに、会ってみる?彼女は転移のがんと、もう1年半つきあっている人よ」
Aさんの目が輝いた。私はすぐBさんに電話をしてみた。
Bさんも"1・2の会"の会員である。彼女は車でスイスイとやってきた。2人は森の中で静かに語らい、やがて、BさんがAさんを高崎駅まで送っていった。
 患者会にできることは、いまのところこんなことだが、ほかにできることがあったら、教えていただきたい。