写真提供:朝日新聞
 
 宮部喜代治さん・晴美さんご夫妻は、この度、NHKを始め3大新聞はもとより、多くのマスコミでその善行が紹介されました。
当塾の仲間として共に陶芸を楽しむものとして大変誇りでもあり、嬉しく思い、又そのご苦労をねぎらいたいと思います。
 NET上でも沢山紹介されていました。その一部をここに転載しました。
奉納仏像の一部は、第3回美術館祭り(2006年5月20・21日)に出展しました。<こちら>
現代ニュース
日航機事故 遺体確認の元看護師、仏像520体を奉納

20060811-shakai11.jpg「壊れたり無くなったりしたらまた奉納します」と手作りの仏像を手に微笑む喜代治さん(左)と晴美さん(右)夫妻=埼玉県本庄市の自宅で8月10日

 
 520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故の遺体確認作業に従事した看護師が今月、夫とともに作った仏像520体を墜落現場となった「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)のふもとに奉納した。後を絶たない航空機事故に胸を痛め、「空の安全と犠牲者の冥福を祈りたい」と仏像に願いを込めた。御巣鷹の惨事は12日、発生から21年を迎える。
 仏像を奉納したのは埼玉県本庄市児玉町の元看護師、宮部晴美さん(68)と夫の喜代治さん(69)。晴美さんは事故当時、群馬県藤岡市内の多野総合病院(現藤岡総合病院)の外科に勤務する看護師で、事故直後から毎晩遅くまで遺体が搬送される体育館で働いた。
 遺体の損傷はひどく、遺体の泥を落とし、きれいにふき、検視医師を補助して傷の状態も調べた。通常の病院勤務をこなしながらの作業で、旧児玉町(現本庄市)の職員だった喜代治さんは妻の体を気遣い、毎夜車で迎えに行った。晴美さんは「手や足だけの遺体もあり、大変な事故が起きたのだと分かった。犠牲者の姿は言葉にできなかった」と振り返る。
 夫妻はすでに退職し、自適の生活を送っているが、8月になるとあの事故を思い出す。航空会社のミスを報じるニュースが流れるたびに喜代治さんは「御巣鷹を忘れてしまったのか」と憤りを覚えた。事故にかかわった自分たちも何かしたい、と仏像作りを思い立った。5年前から陶芸を習っている夫妻は昨年から陶製の仏像を作り始め、7月末に520体が完成。尾根のふもとにある「慰霊の園」に納めた。1体の大きさは高さ10センチほど。太っていたりやせていたり、表情も喜怒哀楽さまざまだ。晴美さんは「ご遺族のやすらぎになってもらえれば、ありがたい。これからも時折訪れ、欠けたり無くなった仏像があれば補充していきたい」と話している。
[5675] 報道部 (2006/08/11(Fri) 20:06:38)
2006/08/11(金)
 520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故の遺体確認作業に従事 した看護師が今月、夫とともに作った仏像520体を墜落現場となった
 「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)のふもとに奉納した。後を絶たない航 空機事故に胸を痛め、「空の安全と犠牲者の冥福を祈りたい」と仏像に願 いを込めた。御巣鷹の惨事は12日、発生から21年を迎える。

 仏像を奉納したのは埼玉県本庄市児玉町の元看護師、宮部晴美さん(6 8)と夫の喜代治さん(69)。晴美さんは事故当時、群馬県藤岡市内の 多野総合病院(現藤岡総合病院)の外科に勤務する看護師で、事故直後か ら毎晩遅くまで遺体が搬送される体育館で働いた。

 遺体の損傷はひどく、遺体の泥を落とし、きれいにふき、検視医師を補 助して傷の状態も調べた。通常の病院勤務をこなしながらの作業で、旧児 玉町(現本庄市)の職員だった喜代治さんは妻の体を気遣い、毎夜車で迎 えに行った。晴美さんは「手や足だけの遺体もあり、大変な事故が起きた のだと分かった。犠牲者の姿は言葉にできなかった」と振り返る。

 夫妻はすでに退職し、自適の生活を送っているが、8月になるとあの事 故を思い出す。航空会社のミスを報じるニュースが流れるたびに喜代治さ んは「御巣鷹を忘れてしまったのか」と憤りを覚えた。事故にかかわった 自分たちも何かしたい、と仏像作りを思い立った。5年前から陶芸を習っ ている夫妻は昨年から陶製の仏像を作り始め、7月末に520体が完成。
尾根のふもとにある「慰霊の園」に納めた。

 1体の大きさは高さ10センチほど。太っていたりやせていたり、表情 も喜怒哀楽さまざまだ。晴美さんは「ご遺族のやすらぎになってもらえれ ば、ありがたい。これからも時折訪れ、欠けたり無くなった仏像があれば 補充していきたい」と話している。【木下訓明】

毎日新聞 2006年8月11日 11時06分
御巣鷹事故鎮魂の地蔵520体、元看護師夫婦が製作 2006年8月5日 読売


 520人が犠牲となった群馬県上野村の日航ジャンボ機墜落事故から12日で21年を迎える。
 生存者が搬送された病院で看護師をしていた埼玉県本庄市の宮部晴美さん(68)と夫の喜代治さん(69)は約1年かけ、520体の陶器製の地蔵を完成させた。近く、鎮魂の祈りを込め、現場の御巣鷹の尾根かふもとに安置する予定だ。
 7月下旬に完成した地蔵は、高さ7〜15センチ。ほとんどが座った姿で、穏やかな表情で手を合わせたり、数珠を持って祈りをささげたりしている。表情はいずれも少しずつ異なり、幼い顔立ちのものもある。
 きっかけは、墜落から20年という節目の昨年、春から航空機の運航トラブルや整備ミスが相次いだこと。「あの大事故が忘れられている。何かしなくては」と、陶芸が趣味だった喜代治さんが昨年9月、「安らかに」との願いを込めて犠牲者と同じ数の地蔵づくりを始めた。晴美さんも「事故と向き合い、風化を防ぎたいという遺族の思いにつながれば」と今春から加わった。
 晴美さんは、事故翌日の1985年8月13日、生存者4人がいったん運び込まれた群馬県藤岡市の総合病院で、看護師の1人として治療を支えた。日航アシスタントパーサーだった落合由美さんから「暗闇の中で一晩中、機体の外に出た右手をひたすら振り続けた」と聞いた時には、胸がつぶれる思いがした。
 藤岡市の体育館で行われていた検視も1日だけ手伝ったが、「遺体が体育館に置かれ、遺族にとっては、かかわった自分も許せない存在なのではないか」と思い込むようになった。夫婦で事故には触れずに生きてきたが、地蔵づくりを始めてからは、一体一体、陶土を練っては窯で焼き続けた。
 宮部さん夫婦は地蔵を安置した後も傷めば作り直すつもりで、「体が持つ限り520体を守っていきたい」と話している。
 
520人へ祈り途絶えず  2006年8月9日 読売
 8月7日(御巣鷹の尾根のふもとにある上野村の「慰霊の園」展示室。
 埼玉県本庄市の宮部晴美さん(68)は、夫の喜代治さん(69)と、520体の陶器製の
仏像を一つずつ木棚に並べていた。
 事故から20年が過ぎた昨年秋、陶芸が趣味の喜代治さんが犠牲者のためにと手がけ始め、ー一晴美さんも今春から加わって焼き上げた。
 「ようやくあの、事故と向き合えた気がします」
 晴美さんは言った。
事故翌日の8月13日昼過ぎ。約50Km離れた尾根から藤岡市の多野総合病院(当時)に、事故機のアシスタシトパーサーだった落合由美さんらが運ばれてきた。
 晴美さんは当時、外科整形病棟の看護師で、落合さんの看護に携わった。腕や腰を骨折して身動きができなかったが、約2か月後、車いすで動けるまでになり、一筋の明かりを見た。
 しかし、藤岡市民体育館で聞いた遺族の叫びは耳に残ったまだった。
 晴美さんは事故直後の1日、体育館で検視を手伝った。遺体を縫合し、三魚巾で覆ったり綿を詰めたりしていた。「遺族の無念は、自分にも向けられたのではないか」
 20年後の冬。喜代治さんが一心不乱に土を練る姿が、事故について閉ざしてきた心を少しずつ開かせた。事故の風化が叫ばれ、日航のトラブルも相次いでいた。「できることはしなければ」
7月下旬、藤岡を訪れた8・12連絡会事務局長の美谷島邦子さん(59)らと会い、仏像を見せると喜んでくれた。胸のつかえがおりた思いだった。
 宮部さん夫婦は12日も慰霊の園を訪ね、手を合わせる。