| 第1部 今、戦争を語り継ぐ 06.8.15 |
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| 共催の言葉 読売新聞社前橋支局長 佐伯 和宏氏 |
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| 体験発表 |
| 俵のインタビュー形式も含めた司会でご発表いただきました。 |
| <関口ふさの氏>群馬県 あさお社主宰 |
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ローカルの出版社として主に地域に根ざした活動をしており、左図の特集は一読の価値があります。 |
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| <星野正明氏> 群馬県 |
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群馬県伊勢崎市で空襲を受けた、星野正明氏はこの体験を「星になった母」と題し手作りの絵本を作って、体験を風化させまじとの強い思いで活動しています。 この日もご不自由な体をを押してのご参加をいただきました。 |
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| <藤村知弘氏>神奈川県 |
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三重県立津高校昭和三十二年卒業生らでつくる「戦争の記憶を記録する会」(藤村知弘代表)はこのほど、同窓生の終戦時の思い出を集めた手記集「国民学校1年生の戦争体験」を二千部、自費出版した (伊勢新聞) |
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| <高井光子氏>東京都 |
当時4歳だった高井さんの話は、戦後捕虜としてソ連に抑留され、亡くなった父親をたずね墓参りをしてきた話でした。
館長の後輩でもあり、語学には一般の人より素養があったとはいえ、遠く離れた異郷の地への訪問は苦労と感動があったようです。
戦争はそのもたらす後遺症も悲惨なものです。 |
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| <田中久江氏>広島県 |
広島に原爆が投下されたときは、少し離れた呉市に居り、直接の放射能被害は受けませんでした。
後に保健師の職につき、大学でも教鞭をとっておりましたことから、被爆患者に接する機会も多く、この立場から戦争を総括することが日常だったように思います。 |
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| <富樫道廣氏>千葉県 |
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国民学校の6年生でした。
頭の良い、スポーツも万能な憧れの先輩たちが次々に徴用され入隊して行き、そして帰らぬ人となっていきました。
あの人たちが生きていたらと思うに、日本にとって如何に大きな損害となったのではと今も思います。 |
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| <飯塚真弓氏>群馬県 元アナウンサーの朗詠。詩2編 |
「生ましめんかな」(栗原貞子・作)
こわれたビルデイングの地下室の夜であった。 原子爆弾の負傷者たちは ローソク一本ない暗い地下室を うずめていっぱいだった。 生まぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声 その中から不思議な声がきこえて来た 「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。 この地獄のような地下室で今、若い女が 産気づいているのだ。 マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。 と、「私が産婆です、私が生ませましょう」と云ったのは さっきまでうめいていた重傷者だ。 かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。 かくてあかつきをまたず産婆は血まみれのまま死んだ 生ましめんかな 生ましめんかな 我が命捨つとも |
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林辰男氏が3月9日の東京大空襲の折、ご自身が体験された記憶を描いたものです。 |
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| 手話ダンス YOU&I のメンバーがお慰めできればと参加くださいました |
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2部「いま、平和を抱きしめる」へ |